2014年12月。わたしはウクライナにいた。
その10ヶ月前、2014年2月にウクライナ騒乱が起きる。政治の腐敗に我慢しきれなくなった市民が立ち上がり、書面上では”市民軍の勝利”。
市民にとって、それがもたらしたものは”勝利”という言葉とは全く相反するもの、起きたことは内戦であり、残ったものは国全体の不安と混乱だった。
By Mstyslav Chernov/Unframe/http://www.unframe.com/ - 投稿者自身による作品, CC 表示-継承 3.0, Link
キエフは落ち着いている。旅行できる。それを知ったわたしはウクライナに向かった。
そこで出会ったのは6人のウクライナ人。
カウチサーフィンを通じて、ミーラとアンドレイという夫婦、そして1歳のルカの家族のうちに泊めさせてもらうことになっていた。
華々しい観光業の仕事に携わっていた経歴があり、今はその仕事をしていないけれど、”おもてなしをしたい”という気持ちから受け入れてくれた。
ミーラはワインのソムリエとして豪華客船で世界中を周り、結婚を機に退職。現在はルカと言う男の子を産んで主婦をしている。
アンドレイも豪華客船のクルーの一人だった。二人は職場内結婚だった。
地方都市出身の彼らだったが、首都キエフに移住し、アンドレイは世界的にも有名な一流ホテルの職員として働いていた。
数ヶ月前までは。
騒乱は収まったが、国の情勢の不安定さは高まるばかり。観光客は姿を消し、長く泊まっていた報道関係者もキエフの状況が落ち着いてきたこともあり、去っていった。
その一流ホテルは廃業を余儀なくされ、アンドレイは職を失った。
1歳の可愛いルカ。青い大きな目をした男の子。
ミーラの母の可愛がり方が不自然な気がした。
ルカがうつ伏せになり、はいはいをしようとするが、足がほとんど動かない。引きずって手の力だけで少し離れた母のところへ行こうとするが、自分の力では動くことはできない。
父アンドレイがルカを捕まえる。
「ほーら、足を動かさなきゃ」
床に敷かれたマットの上に仰向けにして足を動かすようおもちゃを使って促す。
ミーラは説明をする。
「この子はね、足の動きが未熟なの。だから、こうやって毎日リハビリをしているのよ」
それと同時にウクライナ語の単語カードを取り出して、足を動かす運動をしながら、バナナ、りんご、など単語をカードを示しながら読み聞かせている。
熱心だな、その時はそんな風にしか感じなかった。
オーリャという人の誕生日パーティーがあるという。わたしはそれについていくことにした。
タクシーを呼び、乗り込んでマトヴェイという人の家へ向かう。
タクシーの中でミーラはルカを抱きしめながら言う。
「ルカは本当は何の問題もなく産まれてくるはずだった。ルカの足が動かないのは、出産の時の医療ミスなの」
ルカが生まれてきたのは騒乱の直前。緊張の糸が切れる前にも国の状況は相当緊迫したものだったのではないかと想像される。
先行きの不安は国に対するものばかりではなく、愛する息子のことも計り知れないはずだった。
わたしには返す言葉がなかった。
マトヴェイのアパートはとても大きなところだった。引っ越したばかりで、オーリャの誕生日パーティーとマトヴェイの引越し祝いを兼ねての集まりだっだ。
よく集まる仲良しのグループ。よく来たな、親分肌のマトヴェイは歓迎してくれる。
眺めのいい高層階で、そして夜景も綺麗なはず、だった。しかし風景の中のビルは明かりが点いていたり点いていなかったり、まばらだった。
全く点いていないビル、まだらに明かりがついているビル。
マトヴェイは「いい眺めだろう!」と声をかける。一緒に来たミーラやアンドレイはすごいね、と言う。
わたしにはすごいとも美しいとも思えなかった。
オーリャが現れる。これで全員揃った。
マトヴェイの奥さんが料理を振舞ってくれる。ミーラとオーリャも持ってきた料理をお皿に持ってウォトカで乾杯する。
楽しい夜だった。
会はお開きになり、ミーラとアンドレイたちとタクシーでうちに帰る。
キエフの街の真ん中をタクシーは走る。
街を通っていても、明かりのまだらさに気がつく。過度にギラギラ光るショッピングモール。死んだようにくらい高層ビルの一角。
こんな街は今まで見たことがなく、どこか不自然に感じる。
ビルの壁に英語で”メリークリスマス”と書かれたイルミネーションが目に入る。
「私の生まれた地方では毎日数時間停電が起こるの。いつ起こるかわからない。
お金のあるビルにはこうやってイルミネーションもあると言うのにね。」
ミーラはすでに眠っているルカを抱きしめながら外を眺めながら遠い目になる。
「今は辛いことがいっぱいだけど、きっと過ぎればいい思い出になると思うの。すぐにこの国が良くなるとは思わない。
この子が大人になる頃にはきっと良くなっているはず。」
ミーラの目に涙が見えた。
やっぱりわたしには返す言葉がなかった。
キエフの街を翌朝案内してもらい、目に入ったものは燃えて大きなビニールシートのかけられたビル、独立広場の黒くこげた足元、鉄柱にいくつも開いた丸い穴。鋭く、美しすぎて怖いくらいだ。
アンドレイは後ろの建物を指す。
「あの建物からスナイパーは狙ったんだ。そしてこの人が亡くなった。」
男性の写真が鉄柱に貼ってあった。
政府の建物を取り巻く声を上げない静かなデモ隊。それを取り巻く警察。
「あまり近づかないほうがいい。」とアンドレイ。
会話少なめに街を後にする。
どんな話をしていいのかわからない。
「そうだ。ミーラの好物を買って帰ろう。」
修道院前に売られていたスパイスクッキー。これがミーラの好物。うちで待つミーラのためにアンドレイは買い求める。
帰ると、ミーラはボルシチを作って待ってくれていた。
ウクライナの冬はとても寒い。
電気やガスが止められると死者が出るほどだ。ボルシチが冷えた体を温めてくれる。
「とっても美味しい、ミーラ。」
わたしは作ってくれた料理ひとつひとつにそう言った。
本当に美味しかったけれど、ミーラの笑顔が少しでもたくさん見たかったから何度も言った。きっとアンドレイも一緒なんだと思う。
この夜はみんなで買ってきたスパイスクッキーを食べて過ごした。
そしてウクライナを去る日。
こんな大変な状況の中、受け入れてくれたミーラとアンドレイ、そしてかわいいルカのところを離れるのは辛かった。
彼らも同じだと言ってくれた。
「いなくなったら、また日常に戻っちゃうからね。」
その後も彼らとの親交はSNSを通じて続いた。
そして、1年半後。
ミーラとアンドレイ、それからルカの写真がSNS上で上がってくるのは日焼けして夏のような格好をしたものばかりだ。
所在地はベトナムになっている。
メッセージを送ってみると、ルカの成長のためにも暖かいところへ、ベトナムにしばらく住むことになったということだった。
同じ頃、普段ほとんど投稿をあげないマトヴェイがSNS上で、しかも英語で投稿していた。
「ウクライナを去った奴らは、糞食らえ。恥知らずが。」
アンドレイやミーラ以外にも母国を去った人はたくさんいたことは推測できるが、少なくともこの中にアンドレイやミーラも含まれていることは確かだった。
子どものために母国を去って移住した彼ら。冬は電気もガスも地方都市は止められる、と話していたのはミーラだった。
お互いの両親の心配もしているだろうが、今までのSNSの投稿を見ている限り、帰ったような気配はない。
その半年後、怒っていたマトヴェイもウクライナを去ったことを手短にSNSに投稿していた。どこの国に向かったのかははっきりしない。
* * * * *
9月からお店で国のテーマを決め、イベントを開催してきました。
9月はエルサレム。
そこで知り合った友人からニュースで報道されない民族や障害を越えての友情など大切なものを教えてくれたからです。
そして当日にビデオ電話をして、イスラエルのワインやビール、パレスチナで教えてもらったものを見せるととても驚いて喜んでくれました。
11月はグルジアでした。
国立民族舞踊団が来日することに合わせてのイベントでした。この団体が来るということ自体がわたしには嬉しかったので、お客さんと一緒にこの舞台も楽しみました。
12月はトルコ。
トルコには親友がいて、その親友がいてこそトルコは大好きだし、新たなスタートに向けて応援したい、トルコに縁のあるお客さんがいました。
今までやってきた国は大変な状況に直面している国でもあります。その中でも強く生きている人に触れて、わたしもイベントは準備や企画は大変だけど、ポジティブに捉えて前進できました。
そして次はウクライナだな、と思ったのですが、企画まで行って進めなくなってしまいました。
ウクライナのウォッカもワインも日本には消えている。ウォッカは世界でもっとも売れているブランドの第2位と3位を占めているはずなのに。
だけど、やらなきゃいけない。今までみたいにうまく進められないかもしれない。だけど、誰か一人にでも届けられるとしたら。
というわけで、開催します。新たな挑戦です。