回想その3はドイツから帰国後、再就職してまた旅に出るまで、です。
左下のきつい顔つきから、右下の穏やかな顔つきに、そして日焼けも落ちています 笑。
ドイツから戻って来て、私はドイツパン屋で働くこともなく、前と同じ職業で働き、そしてまた旅をすることを選びました。
帰国してまもない間は、急いで仕事を探すこともないかなと思い、実家でのんびり派遣のバイトでつなごうと考えていたのですが
ひどく日焼けしていたこと、私は化粧をしないので「化粧は最低限のエチケットだから」と言われ
社会不適合者のような気がして悲しくなり、逃げるように上京し再就職しました。
案の定、すぐに決まりました。資格があるってこういうことなんですね。
その就職先でも大変でした。
海外にしばらくいただけでも日本語がおかしい。日常会話は平気なんですが、仕事で使う言葉ってやっぱり特殊なんです。
言葉が出てこない。敬語がおかしい。とっさに出る言葉が変なのです。
それだけではないのです。
前の職場は病院だったせいか、かなりトップダウンでした。医者が一番偉くて・・・ってやつです。
私みたいな若造でも”先生”と呼ばれるような環境でした。すごく嫌でした。だけど、周りに合わせてそれに馴染まなきゃいけない、
そう思い気にしないようにしていたのですが、再就職したところに比べると、私の考えに甘えがあったのでしょう。
大きい病院だとそんなに努力しなくても患者さんは来るし、そしてよくなれば退院していく。
だけど、再就職した先はクリニックなので、選ばれないと患者さんは依頼してこない。だから技術とか知識よりも別のことが要求されます。
それも大変だった要因の一つだと思います。
再就職先はスタッフみんないい人で年齢も近かったし、勉強も熱心で本当にいろんな勉強をさせてもらいました。
社会的な常識というのもここで学んだことが多かったです。
病院ではなく個人経営のクリニックですが、異業種がフェアに話し合いや意見交換ができる職場で、
横のつながりも強かったし、クライアントである患者さんからも職場でも”さん付け”で呼ばれることに安堵しました。
医療関係の人は勉強熱心な人が多く、私みたいな出戻り的な人間はそんなにいません。
しかも私なんて全くの異業種・パン。しかもドイツで。
だから、最初のうちは自分のやりたいこととか、将来のこととか全然言えなくて距離を置いてしまっていました。
恥ずかしいというより、怖かったのです。
自分のやってきたこと・やりたいことを話しても批判されるだけなんじゃないか、と。
給料も悪くないし、夏休みだって1週間まとめて取ることができるので、
年に一回はヨーロッパに行けたし、祝日もしっかり休みがあったので連休を使ってアジアも行っていました。
・・・このままの生活でもいいんじゃないか?!十分旅行できるし。
数年働いて、そう考えた時に少しだけゾッとして、自分の将来像が全く見えないことに気づき、やっぱり最初の決心を貫こうと
やっぱり一緒に働いている仲間に自分のやりたいことを伝えることにしました。
怖く思っていた気持ちはなんだったんだろう、というくらいスタッフみんな私の思いに好意的でした。
好意的というか、既に知っていたかのような反応でした。
私が思いを口にしていないだけで、パーソナルな部分もしっかり見抜かれていたのです。
さすが医療従事者!です 笑。
退職が決まり、お世話になった大好きなスタッフにドイツパンを贈ることにしました。
Weckmann(ヴェックマン)はクリスマス前に作るパンです。
By Albärt from als, CC 表示-継承 3.0, Link
このパンを改造してイニシャルっぽくヴェックマンを作りました。Nさん、Mさん、Sさん・・・というように。
私にできる精一杯のお礼でした。
ここで一緒に働いた仲間とは今でも親交があって、私のかけがいのない財産だと思っています。
こんな優しい同僚や仲間と働いていたおかげで私のカドは落ちて穏やかな表情になったのでしたw
ちなみに。就職して、出戻った職業にまた戻る日が来るか?ということですが。
もう戻らないと思います。退職してちょうど丸3年。
理学療法士は、人の命を、人の人生を預かる仕事なので、そんな簡単な覚悟では戻ることはできないと思います。昔みたいに私は若くない。
別の道の覚悟を決めたからそう思うんでしょうか。。
* * *
今の自分の立ち位置と過去とを線でつなぐために書いた回想。
なんかこんなことを公開していいのかとも思いましたが、あえて・・・!
また台湾ネタに戻ります!