サイゴン(ホーチミンのことを我々はサイゴンと呼びます。特に意味はなく)にあるベトナム戦争証跡博物館に行ってきました。
前回ソロで行った時にはテト(旧正月)でお休みだったので、念願叶ったりです。
入場料は75円くらいでした。
入ってまず目に入るのはヘリコプターやキャタピラーなど戦争に実際に使われたもの。
私たちにとっての「戦後」はもうすでに70年以上が経過していますが、世界の人々にとっての認識がバラバラだということ。
これは当たり前なのですが、肌で実感したのはアゼルバイジャンでした。
「あなたの言う戦後とは第二次世界大戦が終わった後のことかな?」と尋ねられたのでした。
アゼルバイジャンには領土問題もあり、今でも完全に平和とは言えない状況です。
そして、ウクライナのキエフでは数ヶ月前に起きた騒乱で、火炎瓶の燃えかすや黒いしみがまだ残っている広場に行きましたし
「ここで」実際に人が撃たれて亡くなったという場所にも私は立っていました。
そしてベトナムのこの博物館でも実際に戦争に使われた生々しい鉄の塊が静かにあったのでした。背筋がゾッとします。
ベトナム戦争で特筆すべきは枯葉剤の影響でしょう。
ベトちゃんドクちゃんの写真。
被害を受けたのはベトナムに住むベトナム人だけではありません。
撒いたアメリカ兵にも影響を及ぼし、その兵士の子どもにも影響をもたらしました。
この枯れた木は私が数日前までサイゴンに来る前までいたバンメトートの森の写真だそうです。
もしかしたら、この写真は私がくつろいでいた森カフェの近くで撮られたものなのかもしれません。
日本の戦場カメラマンの展示もありました。石川文洋さんの本。
ピューリッツァー賞を受賞した写真も展示されていました。この裸の女の子は今はアメリカに住んでいます。大人になってからの写真が公開されているのですが、背中に大きな火傷を負っており、皮膚移植を繰り返し今でも痛みが続いているという記事を読んだことがあります。
この写真も有名ですが、とても印象的な写真。好きな一枚です。
最終的にはベトナムはアメリカに勝ちました。サイゴンは陥落、勝ったからめでたしめでたし、というわけではありません。
枯葉剤による被害だけでなく、南北に分かれてベトナム人同士の戦いもあったので、アメリカに加担していたベトナム人をベトナム人が処刑しようとする動きも出てきました。
ベトナム人の母を持つ友人がこんなことを教えてくれました。
「ベトナムって苗字がグエンさんばかりなんだよ。9割グエンさんと言っても言い過ぎではないくらいに。
それはベトナム戦争の後の現象なんだ。どうしてかというと、アメリカに加担していたことが苗字で悟られることのないように、
グエンという苗字をみんな、名乗りだしたんだ」
気持ちは落ち着きません。
この博物館を出ると、ベトナムの今の平和で元気な姿が目に入ります。
クラクラする頭をスッキリさせようとカフェしました。
広島もそうです。旅行者は暗い気持ちで博物館を後にします。しかし一歩外に出ると、静かで平和な街が目に飛び込む。
それがずいぶん救われると言います。その気持ちがよくわかったのでした。
今、戦争が起きている街でも、サイゴンのように証跡博物館ができて、元気な街が戻って来る日が早く訪れますように
そう願いながら博物館を後にしました。