そこで改めて、世界で会った人々から聞いたラブ&ピースを共有したいと思っています。今回は帰国後、広島に来てくれたゲストと共有したラブ&ピースも盛り込んで、進化した形で現在作成中です!
・・・と私、今はこんなことを熱く語っていますが、ラブ&ピースなんて軽い言葉、正直言ってキライでした。
人間が生まれてきて、戦争がなくなった日なんてありません。いつだってどこかで不条理なことが起こり、犠牲者が出ています。
だから、そんな理想主義みたいな軽薄な言葉は何の意味もないと思っていました。
私が旅をしていた2015年もまた、困難の年でした。アラブの春から発展した戦争が広がり、私はクルド人の住む街へ行くことを中止せざるをえませんでした。エジプトに行くのは非常に悩みました。
ヨーロッパでも様々なことがありました。スコットランド独立是非を問う国民投票、パリのテロ事件、ウクライナ問題などなど。
南北アメリカ大陸でも貧富の格差を目の前に、ただただ自分の無力さを感じるだけでした。
話を聞いても、想像を超える苦しみや状況に度々絶句し、返す言葉もすぐに見つからない場面が何度あったことでしょうか。
そしてこのことを無駄にしたくないから、いろんな資料を読みます。背景や歴史を知っても、ほとんどいいことは出てきません。
それでも私は前向きに考えられるのはなぜでしょうか。
それは私が出会いに恵まれていたということに尽きると思います。苦しみや困難な状況を話す人はそれだけを話すのではなく、とにかく前向きに平和を考える人ばかりでした。
トルコでも出会いがありました。
彼らとは会ったその日に意気投合、3日間家に泊めてくれましたが、我々と4人で修学旅行の子どもみたいにはしゃいでいました。
とにかくいろんな話をしました。彼らの話に共感したり、ハッとすることを教わったり。とにかく刺激的な3日間でした。
「医者になることは努力次第でできる。だけど、生まれてくる国、民族は自分の意思では選べない。」
トルコにあるクルド人問題。アルメニアという国との不仲を話している時に出てきた言葉でした。
トルコだけではなく、貧富の差や人種差別はどこにだってある問題です。
自分の意思では選べないことがあるということ。こんな当たり前のことが、当たり前でなく、無意識に考えないようにしていたことに気づかされた瞬間でした。
そんな彼らとはずっと関係が続いています。
彼らはアンカラに長く住んでいたことがあり、アンカラでテロがあった時、すぐに連絡を取りました。リベラルな彼らの周りにはもしかすると、事件に巻き込まれた友人などがいるかもしれない・・・
彼らの周りの人は無事だったことと一緒にこんな言葉が送られてきました。
「トルコ人は外国の友人ができないという、ことわざがあるんだけど、どうやら今は違うみたいだね。」
トルコの前身であるオスマン帝国は現在のトルコよりもずっと領土が広く、土地を占領していた歴史があります。
そして周りはキリスト教を信じる国に囲まれている地理も関係がありそうです。
そういう歴史や宗教の違いから生まれたことわざなのでしょう。
そんな悲しいことわざを昔から感じながらトルコで生まれ、生きている彼らのことを想いました。
またある日。我々が入籍したことを伝えると、トルコからプレゼントが届きました。
感謝の気持ちでいっぱいでした。
昨日、彼らとテレビ電話をしました。お話会の内容を進化させるために幾つか聞きたいことがあるから、週末にでも話そうよ!と約束をしたのでした。
その数時間後にトルコでは大きな事件が起きます。クーデター未遂事件です。
電話を始めてわかったのは、彼らは冷静に物事を見つめているということでした。
彼らは私がラブ&ピースなお話会のために、親身に話してくれました。
ショッキングな事情、ただただ我々は閉口するばかりでした。
「トルコは将来、女性は頭にスカーフを巻かなくてはいけない国になるかもしれないね」
少し前までのトルコは宗教と政治は完全に切り離し、EU入りを目指している国でした。それが今では正反対の方向を向いて進んでいるというのです。そんな国からは去ることをも考えているというのです。
だけど彼らは人生を前向きにとらえているように感じました。たとえ、トルコの未来が見えなくても、です。
私にできることってなんだろう、と考えても答えは出るはずもありません。