スリランカ・コロンボからローカルバスに揺られて40分にある
ケラニヤ寺院に行ってきました。
バスターミナルはカオスなのですが、英国領だったこともあり英語が通じます。いろんな人に聞いてバスを見つけることができました。
ドライバーにも伝えて途中で降ろしてもらいました。一人片道20円。
ゲートらしいものが見えてきました。
さて、入ろうと思ったのですが、皆さん階段の前で靴を脱ぎ裸足で入っているではありませんか。これはどうしたものかと様子を伺っていました。
すると、この寺院の関係者なのかよく参拝するだけの方なのかわかりませんが、男性が我々の方に来て言います。
「ここは裸足でないと入れないよ。まずあそこでお供え用の花を買って来なさい。
そうすると、そこで靴を預けることができるからそうしなさい。」
その男性の言う通り、お供えの花を買って裸足になり靴を預けます。
アスファルトで舗装されていますが、裸足でほとんど歩くことのない私は足裏がイタイ!!
そろりそろりと歩きながら、教えてくれた男性についていきます。
大きな菩提樹が見えて来ます。
男性は「まずここでお参りをしなさい」と小さなプラスチックでできた壺を我々に一つずつ手渡しました。水が出ている蛇口に並び、壺の中を満タンにします。
それからこの木を時計回りに3周。四方で止まり、みんながしているように、壺の中の水を使ってお清めをします。
ここは土なので足裏がアスファルトよりもっとイタイ!!みんなへっちゃらで歩いているのを見て感心しました。小さい頃は私もへっちゃらだったのに、いつからこんなに弱くなってしまったんだろう・・・とちょっと悲しかったです。
そして3周歩いているのを静かに見守る男性。3周終わるときに、菩提樹の正面に買って来たお供えのお花を供えるよう教えてくれました。
壺を両手に抱えて熱心にお経を唱えながら歩く人々もいました。
我々は3周でしたが、もっと長く回る人もいました。そういう人は1周するごとにお花を置いて、何周歩いたかをマークしている人もいました。菩提樹の前に座りお経を唱える人も。
そして、本堂に近づいていきます。
こんな立派な施設だというのに、入場料は無料。
紀元前からこの寺院はあったと言われており、いろんな時代のいろんな様式のものを観ることができました。
バンコクのワット・ポーみたいです。修復中でした。歴史の古い建造物から仕方ありません。
ブッダの画が本当に美しかったです。
これはスリランカに来ている画でしょうか。ブッダは一説によると3回スリランカに渡ったことがあると言われているそうです。
気持ちばかりのチップを払い男性とお別れしました。
世界遺産などに登録されているような、世界中から集まる大きな寺院では壺を持って参拝するようなことはないのですが、特別な寺院でない限り、菩提樹が植えられ、参拝する人がいます。この男性が教えてくれなかったら、何もわからないままだったでしょう。
建物の外壁も見事なものでした。
ヒンドゥー教のガネーシャがいました。
インドが近いために、スリランカにもヒンドゥー教が伝来し、ヒンドゥー教徒もいるためでしょう。
当時は宗教の境い目なんてそれほどなかったのでしょうね。
日本の狛犬もひとつずつじっくり見ていていると、いろんな発見がありますが、ここのも結構面白い!
今回の長旅でも教会やモスクなど、街のランドマークになっていたり、歴史的な観光スポットとなっている施設も多くたくさん回りましたが、久しぶりに仏教寺院に来てみると、同じ”仏教”というくくりでも共通点や違いを知ることができて、興味深かったです!
今振り返って見てみると、全く違った仏教のように思えますが、当時は仏教の施設に訪れるのが1年以上ぶりだったので、共通点の方がむしろ引き立って見えました。
私がシーア派とスンニ派を区別できないように、カトリックと東方正教を区別できないように、外国人には大乗仏教と小乗仏教が区別できないかもしれません。
違いを説明しろと言われても、そんなに信心深くない私でも何となくはわかるんですが、言葉で正確に説明できる自信がありません。
それは海外を旅している時に、地元の人に聞いて説明に口ごもっていた彼らと同じ姿を自分の中に見たのでした。
そんなことを考えながらカレーを食べて帰りました。