原爆が投下された広島には100年間は草も木も生えないと言われていました。今、原爆ドームの周りに植えられているツツジが満開です。
広島に生まれた者はみな、大きなトラウマを抱える宿命を持っていると言ってもいいでしょう。
10歳になって初めて学校で資料館に行きました。入るとすぐに被爆者のジオラマがあります。
焼けただれた身体で火の海の街をさまよい歩く状況を再現したジオラマ。
泣く前にショックが大きすぎて凍りつく児童がほとんどです。怖くて怖くて、目をふさいでみようとしない児童もいました。無理やり先生から覆った手を外されて抗う児童もいました。
「怖いよぉ!見たくないよぉ!」
10歳では見るには早すぎるという人もいます。
だけど、このトラウマも悪くないと今になってみれば思うのです。
「戦争=怖い、悪いこと」
これは大人になっても変わらないのですから。
初めて資料館を目にする旅行者たちと話してみて、初めてここを訪れた時のことを思い出します。
今月、ヨーロッパから来た旅行者と5組、触れ合う機会がありました。
彼らは資料館を訪れ、それぞれの言葉で話してくれました。
「この資料館には強いメッセージがある」
これは5組が口を揃えて言った言葉でした。
「これからにつながるメッセージがあることは、とてもいいことだと思った」
同じ負の遺産でも内容が違うので、比較するのは間違っているかもしれませんが、例えばオシフィエンチム(アウシュビッツ)。
思想・思考、人種による区別による殺人がそこで行われ、いかに人間は狂気によって悪魔になり得るか、ということを感じました。
どのような殺人が行われ、どのような仕打ちがあったか。それがここの展示で主に語られていることでした。
私も人間だから、状況によって狂気を持ちうる危険があるということを悟ったのは、自分の中で大きな収穫でした。
本当に行ってよかったと思います。
それに対して、広島の持つ大きなメッセージは「平和」。
アメリカがいかに原子爆弾を落としたか、という過程よりも、こういう悲劇を語った上で、現在の核保有国がどれくらいの核を持っているか、とか最後の核実験が行われて何日経過しているか、など、これからのことにも目を向けています。
この資料館の持つメッセージが、他の負の遺産とは少し”違う”ということを、旅をして知りました。
アメリカに住んでいたこともあるフランスからの旅行者はこう言います。
「ニューヨークの9.11メモリアルにも行ったけれど、実はあまり感じるものはあまりなかったの。広島の資料館のメッセージは心に響いたわ。」
そう感じたのは彼女にとって、9.11はあまりにも身近なことだったからかもしれません。目に涙を溜めながら話してくれたのがとても印象に残っています。
我々の見た9.11メモリアル。
一人の人生が”ここで”失われたということ、その人を取り囲む人々の人生をも変えてしまったということを感じます。
「
オーディオガイドを聞きながらずっと泣いていたよ。」
そう話してくれたのはフランス人の父親とドイツ人の母親を持つ男性。両親の出会った街・北海道を訪れるために来日したのですが、広島を優先して来てくれました。
「資料館にいる時間は本当に辛かった。だけど、一歩資料館を出ると元気な街が見えるのが本当に救いだった」
私にも似たような経験があります。
オシフィエンチムは街から離れたところにあり、当時は不気味な煙が夜になっても絶えることなくのぼり、晴れることはなかったと言います。
それが今でも続いているとは思えませんが、どこか曇った印象のある場所でした。1度目は冬が終わったばかりの訪問で曇っていて仕方ないと思う部分もありましたが、2度目はからりと晴れた夏のはず。やはり同じでした。
夏のオシフィエンチム
水はけが非常に悪く、乾かない雨水。こんな風景が帰るまでずっと続きます。気分も晴れるはずがありませんでした。
一方、ベトナムのホーチミン・戦争証跡博物館では枯葉剤による後遺症、今でも続いている影響について想像を絶する悲劇について知りました。
しかし博物館自体は街の喧騒の中にあり、一歩博物館を出るとパワフルなベトナム人の姿を見ることができます。これが本当に救われます。
博物館に近いほど、ちょっと高めの料金設定は否めないけれど、それでも気持ちにいくらか整理がつくのです。
きっと、一歩資料館を出ると救われた、と言った彼女も私がホーチミンで感じた心境と似ていたのでしょう。
彼女は資料館の展示物と説明を一枚一枚写真におさめ、家族に資料館の全てを見せるんだそうです。
「両親は私をきっと誇りに思ってくれるはず。」と話していたのが印象的でした。
イギリスから来た旅行者が第二次世界大戦の話を始めてしばらくすると、ドレスデンについて静かに語り始めました。
ドレスデン爆撃は主にイギリス軍によってこの街を85パーセント破壊した空襲のことです。
「だから、EUはEUなんだ。」
と彼は続けます。
今となっては加盟についていろんな条件があり複雑なように見えますが、根本は戦争をしないため、なんだそうです。
「いい歴史しかない国なんてないはずだよ。必ず辛い時代がある。」
だから、これからをどう創っていくか、が大事なんだと話しました。
ここ広島で、世界各国から来た旅行者とラブ&ピースについて語ることができることは、私は幸せだなと思います。
これからもたくさんのラブ&ピースを紡いで、みんなで共有していければいいなと思っています!
またいつかに、続きます。