イランでは観光よりもずっと喋っていたような気がするのですが、街を歩くと好奇心の強い人々が多く
「どこから来た?観光?イランは初めて?イランをどう思う?」
に始まり、立ち話をすることも多くありました。
その一部を紹介します。
まずはカウチサーフィンのことから。
シーラーズはカウチサーフィンで2世帯住宅に泊めさせてもらいました。
シマとイマンという夫婦、ニキという小さな子どもがいる家庭。
ニキはまだお母さんと家に居て、そろそろ保育園に通うことになるそうです。
シマは育児のため休職していたのですが、そろそろ復職の時期。
階下におじいちゃん・おばあちゃんが住んでいて、そこにニキを預け、今は午前の早い時間だけ職場に行き
少しずつ慣らしているとのことでした。まだまだシマの居ない時間は泣いてしまうこともあるようですが、
それでもおじいちゃんとおばあちゃんに預けるので、安心してシマは仕事に出られるそうです。
イランでは最近、育児休暇が取得できるようになり、給付金も出るようになったと話していました。
ですが、やはり日本と同様、子育てはなかなか厳しいのが現状。子どもはもっとほしいけど、一人が限界かな・・・と話していました。
ここで触れた現状は日本とほとんど似たものだと感じました。
泊めてもらったお礼に作った日本食!作ったのは肉じゃがとちらし寿司、それからナスの煮ものでした。
シーラーズは日本料理屋が閉店した話を聞いていたので、イランの人には日本料理がお口に合わないかも・・・
と心配していましたが、美味しい!と食べてくれました!!
しかも、イランでは今でも「おしん」が放映されているので、日本の文化を良く知っているんですね。
ということで、いつもはテーブルを囲んで食べる食事も「おしん風」にちゃぶ台を囲んで食べようと提案してくれました。
みんなで座って食べます。テーブルよりお互いの距離が近いので、いつもの食事より美味しく感じました。
イマンは仕事が忙しく、帰ってくるのも遅い時間だったりしたのに疲れた顔も全く見せず、笑顔で受け入れてくれて
本当にありがたかった。。シマも早く仕事に出かけるのに、あさごはんの準備をして置き手紙にわかるように示してくれていました。
ありがとう、イマン、シマ夫妻!おかげで我々はイランで一番シーラーズが好きな都市になりましたーー
* * * * *
バスを待っていると、若い男性が声をかけてきました。英語の堪能な彼、ムスタファといいます。
彼はイランの原発の街・ゲシャール出身らしいのですが、結婚を機にシーラーズへ出てきて丸1年なんだそうです。
彼は堂々と言います。「宗教なんか嫌いだ!」
ちょっと・・・そんな大きな声で言ってもいいの?イスラム共和国で??
「大丈夫、誰も聞いていないから!!」
好いていないと言う人は中にはいましたが、彼のように公衆の場で大きな声で宣言する人に会うのは初めてで、びっくりしました。
「君たちは我々イランの国民がアメリカを嫌いだと思うのかい?
じゃあ、どうしてアメリカに亡命する人が多いんだろう?どうしてアメリカの話をする人が多いんだろう?
・・・本当は好きな人が多いってことなんだよ!」
この発言にも衝撃でした。
* * * * *
同じく、バスで出会った女性はアメリカに住んでいたこともあるそうで、美術関係の仕事をしていたそうなのでした。
頭のスカーフの巻き方、イランでは皆同じように見えるはずの服の着こなしからして、この人がちょっと違うことが見て分かります。
日本に知り合いがいたとのことで、その方はコクボさんというオペラ歌手だったそうです。
「彼女はイランに来てくれた時にアベ・マリアを唱ってくれたの。私たちの小さな小さなモスクでね。
モスクと言っても、小さいから自分たちの個人的な場所にしか過ぎないのよ。
それは本当に美しく、今でもずっと忘れられない・・・人生の中で一番印象的な出来事のひとつと言ってもいいわ」
イランは多宗教の布教活動を厳しく禁じており、その罪は最悪死刑になるくらい厳しく禁じられているのです。
もしもそれが布教活動と見なされるならば・・・
ましてや、モスクでそれを唱ったという事実も・・・。
彼女はもうこの世にはいないそうですが、何と勇気のある女性なんだろう、と思いました。
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携帯電話を買うために店を探しているとき、助けてくれたのがミラッド。
たまたま入った電気屋さんには携帯電話が売られておらず、ペルシャ語の話せない我々はその電気屋のおじさんと
うまくコミュニケーションがとれませんでした。
そのおじさんが隣の粉や豆を卸すお店の若者を呼んできました。その彼がミラッドです。
お父さんとお店を一緒に営んでいるミラッド。そのときちょうどお父さんは店に不在で、ミラッドはお父さんの帰りを待たぬまま、
自分の店を閉めてまで、我々の携帯電話探しを手伝ってくれることになりました。
シーラーズの人の性格はお人よしと言われており、イランでは一番愛される性格なんだそう。少し怠け癖もあるけれど親切な人が多いんだとか。
聞いたことのある、シーラーズの性格。こういうことなのかとハッとしました。
そんなことを考えているうちにミラッドはこう言います。
「提案がある。君たちが居ると値段を高めに設定して交渉してくるかもしれない。だから、ここで待ってて。買ってくるからさ。」
彼一人で交渉してくれて、安い携帯電話を買うことができたのでした。
話も面白く、彼のお店まで一緒に戻ってしばらく話し、帰りもホスト宅まで車で送ってくれるという優しい青年でした。
「(当時)2年前、日本に地震があったよね?あの時の映像を見て驚いたよ。
食糧を買うために壊れたスーパーに行列ができている。誰も押したり慌てずに、綺麗に並んでいる。
あれにはびっくりした。津波で流された建物よりも何よりも、あの風景が一番驚いた。
だってさ、天災が起きたらスーパーは夜の間に商品がなくなってしまうのは当たり前だと思っていたんだ。
窃盗は天災の二次災害だからね。」
大震災のあとに海外からの日本の美意識が評価されたことについてもミラッドは話してくれたのでした。
イランのタブーを我々に披露してくれます。
車の中で踊ってくれたイランのダンスは忘れません。公衆の場で踊ることは禁じられていますが、個人のスペースだったらいいのです!
かつてのシーラーズの名物・ワインも友だちに交渉してくれました。あいにく飲むことはできませんでしたが!
* * * * *
エスファハーンで広場で座っていると、青年に声をかけられました。
「ちょっと時間はある?聞きたいことがあるんだ。日本にはどんな仕事がある?経済はどう?日本は好き?」
名前も聞く前に、お互いのことをよく知る前に、こういうことを聞かれるのはイランではよく聞かれることでした。
彼らのほとんどはイランを出て外国に行ったことがなく、経済的に余裕があってもビザの発行がおりず行くことも叶わないことが多いらしいのです。
しかし、同じ質問ばかり一日に何度も聞かれることが多いので、辟易していたのが正直な気持ちです。
日本は車を作っているばかりではなく、イランと同じように、農家だって少ないけれどあるし、レストランで給仕している人も居る。と答えます。
「ビザを取れるよう何かアドバイスはないかな?手伝ってくれる?」
ということも時々聞かれることが多かったです。
どうして日本に来たいのか聞くこともありましたが
「だって日本に行ったら何も悩まなくていいから」とか「パーフェクトな国だから」という答えがありましたが
この答えは私にとって全く嬉しいものではありませんでした。
明日の食べものがないと飢えてしまう心配もないし、こうやって旅行できている。
だけど、私たちだって悩むことだってあるし、日本がパーフェクトだなんて全く思わない。
それぞれの国にそれぞれの問題があって、それぞれの悩み方があるはず・・・。
それが共有できなかったことが少し悲しかったのです。それは日本に住む者のワガママかもしれませんが・・・。
こういうふうに考えるのは私の平和ボケってものかもしれないな、と思いながら彼と別れました。
そのときに、ケニアの男性の話を思い出しました。
昔、ケニアからアメリカに留学する時のこと。アメリカには自由があり、お金もあり、何でもある。
アメリカがどんなに満たされた国であるか、楽しみに留学してみたところ、物的には満たされているにもかからわず、
人々は病み、嫉妬し合い、理想と現実が全く違ったものであったことを話してくれました。それは初めて日本に来た時も同じだったと・・・。
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やっぱりいろんな人と出会って話すと、興味深いこともあり、考えさせられることも多いです。
これからもたくさん出会って話してきます!