バクーからテヘランまで移動しました。
バクーのバスターミナルでチケット売り場を探すのは「トリッキーだ」と聞いたことがありましたが、上のほうにある出発階ではなく、
店屋が多く並ぶ到着階にこっそり階段があって、そこの階段を下りて行くとバス会社がたくさんありました。
そこでテヘラン行きのバスチケットを購入。
これが全く安くない。6000円でした。国境越えも合わせて16時間くらいかかりました。
バクーを9時に出発、前日にチケットを買った際に絶対に遅れないでくれ、と念押しされていました。
きっとイミグレが4時半に閉まるからそれを懸念して言っているんだろうな、と思っていましたが・・・
当日、バスの他の乗客たちが遅れてきたり、両替だの、ビザだの、なんだの言って結局1時間遅れで出発。
なんだったんだろう?ま、いいっか!
バスの風景はずっと湿地帯のようで、休憩したところもべちょべちょしていました。
バクーが海抜マイナスだから、このあたりもそうなんでしょうか。
そして、アゼルバイジャンの出国を終え、女性たちはいそいそと頭にスカーフを巻き始めます。
私も習って巻き、入国の準備をします。ドキドキ。
橋を歩いて渡り、いよいよイラン入国です。
我々の後ろの席に座っていたイラン人の女性は昔ファイザー製薬に勤めていたこともあって、英語が話せました。
Welcome to Iran!!
それがイランに入って何度も聞くセリフになるのですが、ここで初めて聞いたのでした。
イミグレでは我々日本人は列に並ぶことすら許されず、別室へ、と入り口で待たされました。
イラン人の女性は我々の話を通訳してくれて、どうか彼らをすんなり通してください、とお願いしてくれているようでした。
それも叶わず、別室へ。
警察事務所と書かれた事務所の前の椅子で待ちます。
待てど待てど、何も言われないし、何も聞かれない。ただ待たされているだけ。
4時半になり、人がどんどん減り、イラン版「蛍の光」みたいなのが流れ始める・・・
そして、掃除が始まる始末。
我々は一体どうなるんだろう。。。帰されると言っても、アゼルバイジャンもビザの必要な国。
アゼルバイジャンに戻って再入国はできない。
そもそも、一切説明がないからどうなるかもわからない。今日はここの勾留所で過ごすことになるのか・・・
ただただ待たされていると、嫌な考えしか浮かびません。
待たされること2時間ちょっと。
仕事を終えた一人の男性が我々を一人ずつ事務所の中に呼び出します。
指紋を採るために、その仕事ができる彼の帰りを待っていたのでしたww
書類二枚に2パターンの指紋の採り方。手が真っ黒になりました。
こんなに待たせるなら、その男性のところに我々が行くとか、もっと別の方法はなかったんですか。
怒りも湧いて来ず、ヘトヘトになりましした・・・。
アルメニアーイランなどの国境では機械で指紋を採ったりしたとの情報もありますが、アゼルバイジャンーイランの国境
アスターラはこんな感じでしたww
ようやく解放された我々ですが、とっくに日も暮れバスなんて一台も見えない・・・。
やっぱり置いて行かれたのか・・・。6000円もしたのに・・・。
タクシーのドライバーが声をかけてきます。
言葉は通じないけど、「バスか?」みたいなことを言っています。
そのタクシーに乗り込み、少し走ったところでドライバーは車を止め、周りの人に聞き込みをしています。
すると、「近くの○○まで行って待っていればバスは来る」と言っているようなのでした。
そこまでタクシーは飛ばして向かいます。
イランに入国したけど、寂しい始まり・・・。
まだ見慣れない文字、違った空気。
真っ暗の中人々は灯りをつけて食堂や果物、野菜を売っているので、ここでも人の営みがあることに安堵を覚えるものの
とても寂しい気分でした。
後で知りましたが、イランではかなり多くの場所で麻薬取り締まりの検問を行っており、そこにバスは必ず止まるようなのでした。
何台かバスを見送った後に、見覚えのあるバスがやってきます。バスだけでは自信がなかったのですが、
バスから降りてくるドライバーを見てわかりました。
タクシーのドライバーの言う通り、バスに間に合ったみたいです。よかった・・・。
バスのドライバーは言います。「何をしていたんだ?早く乗り込みなさい!!」
バスに入ると、イラン人の女性だけでなく、他にも英語が話せる人が居て、とても心配してくれていました。
イラン人の男性と北カフカス・ウラジカフカス出身の女性の夫婦。
彼らはちょうど結婚してイランに移住するのに彼の住む家に向かっている時なのでした。
「ドライバーは次のバスが来るから待たずに行ってしまおうって言うんだ。日本人は最近止められることが多いらしくてね」
だけど、国境も閉まった後なのに、次のバスなんて来るはずがないのです。
この3人がドライバーが出発しようとするのをなんとか思い留まらせてくれていたようなのでした。
夫婦が分けてくれた食事がなんとおいしく感じたことか・・・
イラン人の男性がアゼルバイジャンから来た同じバスに乗っていた老人に話しかけます。
老人と男性は共通言語がなかったので、奥さんがロシア語で通訳します。
「ねえ、おじいさん、知っている?イランには2000万人もアゼルバイジャン人が住んでいるんだよ」
そのとき初めて知った数字でとても驚いたのは私だけではなく、奥さんも
「ねぇあなた、2000万人と言った?200万人じゃなくて?」と聞き返すくらいでした。
2000万人というと、イランの人口の4分の1がトゥルク系のアザリ人ということになります。
イランはペルシャ人だけでなく、トゥルク系の人も多いことと、他にもアラブ系の人もいることをここで学んだのでした。
結局、テヘランには午前2時半くらいに到着しました。あまりにも遅い到着なので、乗客みんなそのまま同じ宿に宿泊します。
泊まった宿はアゼルバイジャンの人がよく泊まる宿のようで、「シェヘラザートホテル」という名前でした。
一泊3000円。場所がいいわりにそんなに高くない宿でした。
そんなふうにイランの旅がはじまりましたー