2013年 07月 20日
台湾 Zoe
髪をお互いに短く切り、会って二人揃って
「髪、切ったんだねぇ」とお互いに言い合った。
変わったのは髪型だけで、お互いにすぐにわかった。
私たちがポーランド・クラクフで出会ったとき
彼女はイギリスに留学中、私はヨーロッパを放浪中だった。
出会って3カ月後、アムステルダムで再会し、雨の中にもかかわらず仲良く、強行ピクニックをして風邪をひいたものだった。
雨が強く降り出し、カフェに雨宿りしに入ったとき
「君たち、中国人かい!!」
と店員に言われ
Zoeは強い口調で
「No!! 彼女は日本人で、私は台湾人ですから。」
と言ったのが印象的だった。
「Zoe、仕方ないよ、だって世界の5人に一人が中国人なんだから」
と言っても彼女は譲らなかった。
私は中国人に見られがちだが、日本という別の国から来たという事実があるが、
彼女にはそれが認知されない場合がある。
私の発言はあまりにも軽率だったかもしれない。
台湾で待ち合わせたのは光點台北という芸術サロン。
そのとき、台湾の原住民族の文化交流という催しが行われていた。
漢民族が移住してきて、13の原住民は山奥に追いやられてしまったが
今でもその祖先が伝統を守り続けているといった内容だったようだ。
イベントを後にし、このことについて二人でカフェで話しているとき
「私の祖先も大陸からやってきた漢民族なんだし、このことについては知っておかないと」
と言った。
「ねね、漢民族と言っても、大陸の中国人と台湾人では全く民族性が違うような気がするんだけれど、どうしてなんだろう?」
と尋ねてみたが
「さぁ、どうしてだろう・・・うまく伝えられないけれど、、、私たちは同じ民族だってことは確かだよ」
他にも聴いてみたいことはたくさんあったが、厚かましくなれる勇気もなく、語学力もなく、引き下がることにした。
だけど、それ以上にアムステルダムでの彼女とは全く別人と感じたことに戸惑ったのが、それ以上聴けなかった原因かもしれない。
台北を案内してもらい、晩御飯を食べているとき
「私、イギリスから帰ってきて、まわりに馴染めなくて、ずっと引きこもりがちだったの。最近、ようやくオープンマインドでいられるようになったの。ベリーダンスを始めたから。」
「ベリーダンス?」
「そう。ダンスを始めて、少し前向きになれた気がする。」
台湾に帰国して2年あまり。彼女に何があったのか。
私がさっきZoeを別人と感じたことも、きっと関係があるのだろう。
「よかったね!本当に。」
私にもそういう時期があった。気持ちはよくわかる。本当によかった。長かったね。
「ありがとう。」
帰り際に彼女は言った。
「覚えていてね、台湾人ほど日本のことを愛している国ってないから」
「えー日本人だって台湾のこと大好きだよ?旅行にもたくさん来ているし」
「No!! そんなことない!サナエは何にもわかってない!」
そう言ってZoeは笑った。
その口調、アムステルダムの時の勢いと同じだ。
Zoeはもう大丈夫だと思った。
Zoeと別れて帰り際に
東日本大震災のあと、一番のりで巨額の寄付を届けてくれたのは、どこだったかをハッと思い出した。
確かに、私は何もわかっていなかったんだな、と思った。